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カヒロのちょこっと随筆

越冬

去年の8月頃のある夜、小さな黒いものがコンクリートの地面の上に落ちていた。

ゴキブリなら嫌だったが、よく見るとメスのコクワガタだったので安心した。
周りに木とか自然の場所が無く、家に連れて帰った。
一昨年も同じような事があって、その時は一晩家に泊めて次の日森に帰しに行った。

だが今回はズルズルと家に泊めているうちに、越冬の季節が来てしまい、どうしようか迷った。
結果、越冬させてみようと決めた。やったことないけど。

僕がよく忘れ物をする印象からか、周りの人には心配された。
そんな、自分の世話もろくに出来ないのに大丈夫かと。

小さな籠にクヌギのマットを敷き、ゼリーのエサを1,2週に一度程取り替えた。

冬の間、一度も出て来なかったので、結局僕はほとんど何もしなかった。

でもこの1,2週間ほど前、クワガタは出て来て元気にエサを食べたりしだしたので、
一応越冬は成功したと言える。どうだ。

そういえば帰すかどうか迷っていて正式に飼うつもりでもなかったので、名前もつけていない。
もう少し夏らしくなって来たら森に帰しに行こうと思っている。

これだけ一緒にいてもいっこうに懐かない感じが、かえって気楽で良い。懐かれても怖いけど。

さっき何故か「空即是色」という言葉がポッと頭に浮かんだ。
たぶん、「特別」とか「普通」とかいうことについて考えていた先にに浮かんだのだと思う。

「晴れ舞台」とか、そういう「特別」な意識や作りこみでライブには立ちたくない。
何事もなく「普通」に立ちたい。

「普通」なんて無く、すべて「特別」なのだから。

だから「特別」が「普通」であって、とかそんな事を考えてたら「空即是色」に化けたんだろう。

明日も普通に特別に、ライブに立ちたい。なんてことなく。




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迷子の思い出 その1

こう見えても地理感覚はある方だと思っている。

一度行った道はだいたい覚えるし、道を外して迷った時もだいたい元の道に寄って行きながら、目的地にたどり着くことができる。

車の運転と地理感覚だけは、珍しくマトモなようだ。

なので迷子になったという記憶も、大きなものは今までで2度しかない。うち1回は記憶も無くて、母親から後に話を聞いただけだ。

1つめは、1,2才くらいの頃。

生まれ育った福島県いわき市の田舎町は、イトーヨーカドーが一番大きなショッピングセンターだったので、日曜日には家族で出かけ、買い物をして、屋上のゲームセンターで遊び、4階のレストランでお子さまランチを食べるのが大きなイベントだった。

まだ1,2才の頃、言葉も十分に話せない頃だったので、母親はかなりシビアに僕がはぐれないよう細心の注意をはらって、出かけていたらしいのだ。

でもある日のこと、いつものようにしっかりと手を繋いで店内を回っていたのだけど、その日だけ何故かほんの一瞬だけ手を離してしまったのだという。

ほんとうに一瞬だけ手を離し商品を見てふと我に帰ると、もう僕の姿は無かったらしい。

母親は真っ青になり、近くにいた父親に僕がどこに行ったのか叫ぶと、分からないと。後年、父親のことを「肝心な時に全く役にたたない」と、その時のことを振り返りながら母親はよく言っていた。

ただでさえ気弱で心配性の、どこへ行くにも絶対に子供の目を離さなかった母親だったので、その時のショックは相当のものだったと思う。

言葉がまだはっきりしない子供を放送で呼び出すわけにもいかず、パニック状態の母親は、1階から4階の隅々まで死ぬ気で探したらしい。

「あの辺にいるんじゃないか」と、ついて回る父親を完全に無視して、母親は何度も何度もイトーヨーカドー全部を探した。

それでも僕は見つからない。
店内にいればまだ良いが、もし外にでも出てしまったら。

大げさな母親は、もうダメだと思ったらしい。僕は死んだと。
勝手に殺さないでほしいが、そのくらい追いつめられたらしい。

そして何度めかの店内捜索で、もうこれで見つからなかったらもう終わりだと覚悟を決めて、最後4階の家電売り場を訪れた時。。

扇風機をじっと眺めている僕がいた。

1,2才の僕が4階へどうやって行ったのか、両親は何度も店内をくまなく探したのに見つからなかったのか、今も謎のままである。

とにかく僕は生きていた。

僕も記憶が無いのでどうしようも無いが、そういうのんきな子供であったことで、超心配性の母親にとってはどれだけハラハラさせる息子なのであっただろう。

それが1つめの大きな迷子の思い出。

心臓病だった女の子

子供写真2


保育園に通っていた頃だから、5才前後だったと思う。

中途保育で入った保育園は、父方の祖父母の家から数百メートルの所にあった。

自宅とは二つほど町が離れていたので、地元の園児と違い僕だけ母親の車で送られた。帰りは祖母が歩いて迎えに来て、母親が仕事帰りに迎えに来るまで、1,2時間ほど祖父母の家で待っているという日々を送っていた。

なので僕はその町の地元の子供ではなかった。

祖父母の家は、広い田圃に十数軒が立つ集落で、保育園からも見えた。

周辺の土地はかつての炭鉱町で、戦後のどさくさで勝手に占拠して家を建てた人々によって作られた集落らしい。

炭鉱町の風情が残るバラックの長屋や、それらを増改築した平屋の一軒家がくっついたりしているいびつな集落で、祖父母の家も、二軒ほどの家をくっつけたその手のたぐいの家だった。

祖父母の家の隣に、長屋のままのボロボロの家に、腰の曲がったおばあさんが一人で住んでいた。

そこに時々、おばあさんの孫で僕より1,2才くらい年下の女の子が来ていた。おそらく親の事情で時々預けられたのだろう。

集落には子供もいなく、また地元の子供でなかった僕とその女の子は、いつともなく自然と仲良くなり、一緒に遊ぶようになった。

その子がどういう環境で、どういう事情でそのおばあさんの家に来ているのか、何も分からなかった。

でも僕には関係なかった。

お互い、よそから預けられた者同士という境遇が、自然と肩を寄せ合うように仲良くさせたのだと思う。

その子は、自分の心臓には穴が開いているんだと言っていた。

僕にはよくわからなかったが、病気の子だと言うことは子供ながらに理解することができた。

母親は僕に、あの子は小さいのにかわいそうだと言っていた。


いつからか、その子は来なくなった。


保育園を卒園して違う学区の小学校に入学した僕は、祖父母の家にも毎日行くことはなくなった。

喘息のような音を出して、よく笑う子だった。


僕の、初めての友達だった。


日記のようなもの始めます

今まで何度か日記のようなものをブログに書いたりした事はあったが、そういうものはツイッターとかフェイスブックと言ったSNSに書いているつもりになり、ここ何年かはすっかり書くことが無くなってしまった。

でも最近、よくよく見るとそのSNSも、ライブのお知らせとか、近況とか、そういうのばかりになっていて、「自分の文章」を書く場所は無くなっているなぁ、と気づいた。

なのでここでちょこちょこ書いてみようかと思ってます。

とりとめの無いことを、ダラダラ~っと書くつもりなので、そんなのが好きな人がいらっしゃったら、よろしくどうぞ。


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